遠くの旗とは、「何をするか」という問いの前のある、「何のために」に関係するものである。私の意見では、家族のためにでも日本のためにでもよいのだが、「何か良いことのため」であることが必要である。遠くの旗は、そこに到達したいというモチベーションを高めるものでなければならない。単に、建物の土台となる石を積んでいると考えるのと、村の皆が集まる教会の土台となる石を積んでいると考えるのでは、結果が大いに異なる。
遠くの旗は、少し「大きな絵」であることが必要である。初めは漠然としていても、仕事の上での専門性が明らかになるにつれ、次第に具体的になってくる。始めは、収入を得て家族を養うでもよいが、それでは絵が小さすぎて、大きなエネルギーをかき立て難い。ささやかな目標をバカにするわけではない。それはそれで大切なのだが、大きなものの一部を担っていて、そこに自分の能力やエネルギーが必要とされていると感じられるとき、モチベーションは高まるという性質を持つ。
従って、家族といった単位よりはもう少し広く、人々や社会のために、専門をどう活用するかに関するものが良い。「志」という表現が使われることも多いが、私には少し立派過ぎる感じがする。遠くの旗も自分の成長とともに進化すると考えれば、始めは「何か良いことのため」という程度でも良いと思う。