「世界各国で事業を展開する会社に対し、組合の方も国をまたがる組織を作って対抗しよう」とする組合サイドの活動は、80年代および90年代の初めは非常に活発で、日立製作所も、タイにおける労働争議について、IMFから電機労連をとおして事情説明を求められた経験がある。また、80年代には、多くの欧州企業がアメリカに進出し、アメリカの労使関係を理解したいと考え、RAGのメンバーに加入した。一方、アメリカ企業も数多くヨーロッパに進出、異質な欧州の労使関係に苦労した。アメリカ、ヨーロッパ双方の要求にこたえるため、RAGはアメリカで開催されるだけでなくヨーロッパでも開催され、具体的な組合側の動きについて活発な情報交換がおこなわれた。90年代初めフランスの工場で労使交渉を担当していた私も、ブラッセルで開催されたRAGのミーティングに出席した記憶がある。
多国籍間で労使交渉をおこなうことを目標とするWCCの活動は、その後停滞する。賃金の低い国での労使交渉にてこ入れをすることにより、仕事が流出することを防ごうという組合の考え方は、それなりの根拠があったのだが、国ごとに異なる労使交渉慣行や企業の独立性に妨げられ、企業別に国際団体交渉をするというアイデアは野心的過ぎて成立しなかったのだ。しかし、シュナイダー教授 Christian Schneider, Managing Director によれば、復活の兆しが見えるという。多国籍労使交渉というテーマは、古くて新しい課題なので、グローバル人材を考える際、考慮に入れなければならない外部環境の一つとして紹介しよう。