グローバル化といった単語は、その言葉を取り巻く環境(コンテキストとか文脈と呼ばれる部分)の理解がなければ、分かったことにならない。ところが最近は学生だけでなく、企業の課長クラスでも、文脈理解が出来ていない人が多くなった。このことに気が付いたのは学生も課長も、「グループ討議が上手にできなくなってきた」からだ。理由は、文脈理解ではなくキーワード理解が増えたからだ。
日本語はハイ・コンテキスト言語である。英語であれば、手を表現する場合、hand, arm, shoulder, と区別するが、日本語は手という単語で、おおかた済ましてしまう。手のひらのことを言っているのか腕のことを言っているのかは文脈で判断する。hold up も手を挙げろ、だ。片手ではなく両手を挙げるのは、強盗が拳銃を突き付けているという文脈にあるからだ。
キーワード理解とは、グローバル化だとかコミュニケーションだとか、ある単語を聞いただけで、話していることは自分の理解している文脈にあると考えてしまう傾向のことだ。
グループ討議は、いろいろな意見がぶつかりあうことにより、新しい見方や答えが生まれることを期待して行うものだが、最近上手にできない理由は、議論が目指すべき方向についての議論が不十分なまま各論に進んでしまうからだ。グループ討議のテーマは何か、目標は何か等々、文脈についての討議がおこなわれないので、良い答えは生まれてこない。
更には、言葉の定義が共有化されていないまま、平気で使ってしまう。「コミュニケーションを良くする」といっても、思い浮かぶことは人により異なる。文脈理解ではなくキーワード理解の問題点がここにある。何をwhat、コミュニケーションというのか、どの様な状況how で使われたのか、 どうして whyその言葉が使われたのか、という文脈があって初めて、コミュニケーションという言葉の意味が明確になり、共有化が可能になる。